みたび、同じ本を世に出す。/『バウルを探して』制作手帖①


 今回三輪舎より出版する『バウルを探して〈完全版〉』は、三度目の出版となる。一度目は、幻冬舎より2013年に単行本『バウルを探して―地球の片隅に伝わる秘密の歌』として、二度目は2015年に幻冬舎文庫で『バウルの歌を探しに―バングラデシュの喧騒に紛れ込んだ彷徨の記録』が刊行されている。大きな出版社から二度刊行されたわけだから、すでに多くの読者を得ている、もっといえば、これ以上読者を増やすことはできるのだろうかという疑問を、普通は抱く。それでも、『バウルを探して』を出したい。この本はもう一度、違うかたちで世に出ることを求めているのだから。

 読んだことのあるひとならおわかりだろうが、川内有緒の旅には、彼女の盟友である写真家・中川彰が同行している。しかし、彼が撮影した写真は、過去に二度刊行された『バウルを探して』にほとんど収められていない。単行本のカバーには中川の写真があしらわれているが、テキストで上書きされ、カバーのサイズにトリミングされ、色調も補正されて、原画とは別のものに見える。本文の章扉にも複数枚使われているが、カバー同様、そしてスミ一色である。

 これは何も、中川の写真の多くが使われなかったことを非難したいわけではないし、作品が加工されていることが残念だと思っているわけではない。むしろ逆で、ぼくは、バングラデシュというただでさえマイナーな国の話に加え、謎すぎる存在のバウルを主題にした本書を企画した編集者と、出版を決めた幻冬舎の、当時の懐の深さと、販売努力にリスペクトしている。実際、本書が世に出たことがきっかけで、新田次郎文学賞を受賞しているのだから。

 ここでは、良し悪しではなく、これまでは中川彰の作品が収められていないという事実そのものを言っておきたい。一般論として、作家と写真家が同行していたからといって、ふたりで共作するものとは限らない。そもそも、川内有緒と中川彰という、ふたつの強烈な個性を一つの本に統合し、広範な読者を獲得するのは不可能に近い仕事だからだ。はじめて中川の写真を見たとき、最初に感じたのはそういうことだった。自分のような未熟な編集者には無理だ、と内心思った。

 一方で、この本はもう一度、世に出ることを自ら求めている、と思った。ダッカの喧騒、ガンジス、タゴールが黄金と唄ったベンガルの大地の風景、バウルの肖像を収めた写真は、原稿が書き上がるのを待たずに急逝した中川彰の、いのちそのもののように思えた。当時の中川は「無理に写真の仕事を増やして自分らしくない写真を撮る」ことをやめて「引越し屋でバイトしながら、作品としての写真を撮って」いた。そして、そうやって貯めたお金で「帆布のカバンのなかにはぎっしりフィルムを詰」めて、川内とともにバングラデシュを旅した。つまり、この旅で撮影した写真は仕事ではない、いのちそのものだといってもまったく言い過ぎではないのだ。ぼくは、中川さんが残していった写真をできる限り収録した、新しい『バウルを探して』をつくろうと決めた。

 そういうわけで、今回の〈完全版〉は、川内有緒のテキストに加えて、中川彰の66枚の写真を収録した。しかし、上記の理由により、文章と写真を統合することはできなかった。川内の文章は中川の写真を説明するものではないし、また逆も然りだ。考えた末、逆転の発想で、それぞれを作品として独立させて、前半の100ページ弱を写真編、後半の300ページ近くを文章編とした。写真集でもあり、読み物でもあるので、読みやすいようにA5版とし、写真を見開きで味わえるようにコデックス装(見開きの中心がすべて露わになる製本の方法)にした。

 こうして、三度目の出版とはいえ、まったく新しい本として蘇ることになった。

〈第二回「バウルとは何か」へ続く〉