まちの音

 事務所で仕事をしていると、方方からいろいろな音が聞こえてくる。今日は近くにある商店の建物を修理しているので、カキンカキンと足場を組む音が響く。八百屋が台車を押す音、ラシャーイラシャーイという威勢のよい呼び声、保育園からは子どもたちの高い声と保育士のやけに低い声が聞こえる。階下からは、本屋の店主が客と談笑する声が聞こえる。

 会社員だったころのことを、ふと思い出した。通っていたオフィスビルには、仕事をしながらいまのような「外側」を感じることはできなかった。オフィスで仕事をしている間は外の音は聞こえてこないし、インドカレーの匂いもアスファルトの熱気も池の冷気も流れてこない、蚊も蝿も飛んでこない。海浜幕張の高層ビルに勤務だったときは、窓辺からマリンスタジアムが見えて、夜になるとナイターの照明がスタジアムの上から漏れ出すのがきれいだった。だからといって、スタジアムとオフィスとは連続している世界であると思えなくて、テレビを見ているのとほとんど変わらなかった。

 コロナ禍により内側に閉じこもることになって、かえって外側を意識するようになった。内側と外側とを隔てるものはたった一枚の古びたガラス。内と外との連続性は大いに担保されている。世界は健康に保たれている、という安心を感じながら仕事をすることができる。もし、会社員のときに通ったようなオフィスに事務所を構えていたらと思うと、想像するだけでとても苦しい思いをする。

 自分が住むマンションも同じで、上の階の親子がソファから飛び降りて遊ぶ音や、マンションの住人たちが立ち話する声が聞こえてくる。保育園に行けない五歳の娘は下の階に住むおじさんと文通をして遊んでもらったり、玄関先で立ち話をしている。六歳の息子は上の階の自分よりは年少の姉弟をうちに連れてきて、一緒に遊んでいる。緩んでいるといわれればそれまでだが、生きていくうえで、こうするほかなかったとも思う。